特集1 データ入稿した色校正は、どの印刷会社でも同じ色になるのか
●色校は完璧なのか?
印刷を最終形態にしているデザイナーやアートディレクターにとって、色校は「最後の仕上げ」である。色校での指示がすべてを左右するといってもいい。どんなにいいデザインをしようが、企画をしようが最終的に「肌の色がくすんでいる」とか「商品の色が悪い」というのは、それまでの仕事をゼロに返すと言っても過言ではないだろう。
そんな色校だが、色校は「完璧」なのだろうか? また、色校はどこで出しても同じ結果になるのだろうか? 答えは否である。
●データの色は完璧に再現されるのか?
最近はデジタル化が進んで、「データ入稿」がかなりの割合である。以前とある仕事でデータ入稿した。上がってきた色校は若干「C」が浮いていた。これを見た某会社のデザイナーは「データで出したんだから、この色校が正しい色だ」と主張し、若い印刷会社の営業マンも「データなのでこれが正しい色だ」と言い切る。唖然とした。正直いって「こういうことを平然と言うデザイナーがいるとは思わなかった」というのがその時の印象だ。
●データの色はその後の工程に左右される
確かにデータに含まれる色の割合は、出力機によって大いに左右される訳ではない。もともと「C何%」という数値は、正確にアミ点となってフィルムに焼き付けられる。問題はその後の作業だ。フィルムというのは、現像機を通して初めて完成する。従ってデータからフィルムに焼き付けられる時は完璧でも、現像の時間によっては全体的に濃度が薄かったり、濃かったりする可能性を秘めていることを忘れてはならない。
●色校正は色校正でしかない
さらに、色校正は「校正用の台」で刷られている。これはケース・バイ・ケースだが、本機校正などは希といっても過言ではない。また各インクは当然規格品なので色にバラツキはあってはならないが、問題は「インクの載せ方」である。インクの載せ方は千差万別と覚えておこう。従って同じフィルムでも色味が若干変化するのである。
●刷版でほぼ9割決まる
完成したフィルムは、さらに印刷用の「刷版」に焼き付けられる。これも大いに色に影響する。この刷版の焼き具合ひとつで最終的な仕上がりが9割方決まると言ってもいいくらいだ。よく「色校と本刷りが全然違う」というが、原因はこの刷版も大いに影響している。ただ元のフィルムにかなり近いアミ点が得られていても、結果は同じにならない。印刷時のインクの載せ方が違うからだ。これはもう「マイスター」つまり職人の世界の話だ。しかし、この微妙な刷版の焼き具合で、色校よりももっと素晴らしい発色を得ることのできるマイスターは「存在」する。詳しい事はこのあと述べよう。
●色校正が基本
印刷時には、校了した色校正紙を参考にして印刷するのが基本だ。通常色校時には4色で刷られたもの以外に、分版の校正紙がつく。つまり各色の濃度が分版の校正紙で確認できるという訳だ。そう印刷時には「色校正紙に近くなるように色を調整する」のである。
印刷とは、それほど許容範囲があるということを忘れてはならない。この事から「色校正」はできるだけ、希望する色が得られているモノでなければならない。
しかし、色校正が一回しか出せない予算の仕事があるとする。入稿はデータで行ったこととする。もしも前述のように「Cが浮いた校正紙」が上がったとしよう。それも「やや浮いた状態」としておく。こういう場合は「C版を若干アラウ」という指定もできるが、ケースによっては、印刷時に調整が効く。
●なぜ、それができないか
しかし、印刷は流れ作業でしかもできるだけ印刷機械が「あかない」ようにスケジュールを押さえるのが通常だ。印刷機械があいているような印刷会社は、売上げがそれだけ減るのである。従って、できるだけ早くひとつの仕事を済ませたいのが方針としてある。つまり余裕がないのだ。そのような流れの中で「Cをやや抑えて印刷」とかいう指定は、嫌がられるし「刷り出しの確認する人」がいなければ、誰が判断するのかという責任問題もある。そこで登場するのが「品質管理責任者」つまりマイスターだ。
特集2 マイスターとは、どういう人を指すのか
●その前に「製版」のスキル
データ入稿では存在しないが、アナログ(従来形式)製版のスキルは、バラツキがある。仕事としての製版オペレーターは、ポジなどの「原稿」に指示があればそれに従い、なければ限りなくオリジナル原稿に近づけるのが、普通である。
例えば、肌の色に対し「くすみをとる」とか「ざらつき抑える」などの指定をするとしよう。人によっては「CやMを抑え目」にするだろうし、ざらつきに関しても同様の処理が施される。しかし原稿によっては「レスポンス処理」、つまりコンピュータによるレタッチ作業が必要な場合もある。レスポンスは、かかった時間によって金額が変わるので、よほど予算がない仕事では使用できないが、予算が見込める時には使用する。しかし、同じレスポンスでもスキルが相当違う。私がマックを使おうと思ったキッカケのひとつに「レスポンス作業のスキル」に不満があったこともある。
●レスポンスのスキルとは何か?
例えば肌の部分に不要なくすみや影があったとしよう。当然レスポンスが必要だ。ではレスポンスで「修正指示」を与える。「肌の影をやや明るめに」という指示を与えるとする。ここでスキルが必要になる。私が以前経験したことでは「影をとりすぎて、人の顔の形が変わった」ということがある。影の部分をとりすぎて、顔がパンパンに膨らんで見えてしまったのだ。しかし、原稿に映っている人の顔の形を「理解できれば」、こういう事は絶対に起こらない。つまりスキルだ。その原稿の修正個所で一番重要なことは何か? 修正することで不具合が起きないか? 不具合が起きるとすれば「どの程度まで許容範囲か?」という判断である。その原稿の特徴を理解していれば、「人の顔の形が変わる」などということは起きない。
●実際にいるレスポンスのマイスター
写真集の仕事でのことだ。その写真集は女性の肌の質感がとても重要なのだが、オリジナルのポジには、寒かったのかどうか知らないが「鳥肌」が立っていた。ようするに「ザラついて」いるのだ。大した期待もせずに「ザラツキおさえる」とか「鳥肌が目立たぬよう」という指示を入れた。上がってきた色校正を見て思わず小声で叫んだ「すばらしい!」
その色校正の肌は「しっとり」として、滑らかに仕上がっている。もちろん滑らかというだけあって「肌のトーン」がしっかり出ている。よ〜く見てみるとおそらく「肌全体をぼかして」いるようだ。しかしそれだけではない。メリハリのある部分はしっかりと表現されているし、ぱっと見ただけではレスポンスが入ったなんでわからないような仕上がりだ。
もちろん「ポジ原稿」よりも、数倍美しい仕上がりだった。たったあれだけの指示から、原稿の内容を最も美しく表現するようなレスポンス処理が施されていた。これをマイスターと呼ばずに、なんと呼ぶのだろうか!
●いよいよ登場、印刷のマイスター
さらに編集者がいうには、「本番の仕上がりは、色校よりも遥かにきれいだよ」とのことだ。その理由を訪ねるとどうやら「本物の印刷マイスター」がいるようなのである。
その印刷会社の印刷工場には「品質管理責任者」がいて、そのマイスターが最終的に責任を持って仕上げるというのだ。そのマイスターの特徴としてはフィルムから刷版にする際、ややアミ点を細目に焼いて、印刷時に「インクを盛る」というのだ。もちろん刷り出したあと、印刷物の内容から判断して、重要な色は何か? その色がちゃんと表現されているか、ということをチェックして、場合によっては何度も何度も刷版をやり直しさせるらしい。
「いるところにはいるんだなぁ、本物のマイスターが…」というのが率直な意見だ。
●モノクロを綺麗に表現するマイスター
これも写真集でのことだ。それは原稿が全て「モノクロ」で、「本物のプリントのような質感と大きさ」が売りだった。これは恥ずかしい話なのだが、それまでモノクロを綺麗に表現する印刷方法としては「4C分解」がベストだと思っていた。もちろんモノクロのトーンをセピアに転ばすとかの場合はダブル・トーンというのが頭にあった。という理由でその写真集の入稿時には「4C分解」と指示を入れて入稿した。ところが編集者の意向で「ダブル・トーン」に変更した、というのだ。しかもグレーとスミの2色で。
そのグレーは製版の人間が、原稿を見て最もオリジナルに近くなるように「中間トーン」のグレーを指定するのだという。「それほど差はないだろう」と思っていた私が「恥ずかしさ」を感じたのは校正が上がってきてからだ。その校正は、まさに「モノクロプリント」だった。いやモノクロプリント以上にモノクロプリントらしさが表現されていた。
モノクロの4C分解にはリスクが伴う。それはスミやグレーが「MかC」に転ぶ現象だ。確かに4Cにすると黒の深みはでる。しかしグレー部分に色が浮くのである。だが、この「スミとグレー」のダブル・トーンは完璧にスミとグレーが再現されている。当たり前と言えば当たり前だが、それ以来私はモノクロ写真には「スミとグレー」を指定するようにしている。
コツは写真の中間トーンのグレーにもっとも近い「グレー色」を指定することだ。
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